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食べログのやらせ問題も大相撲の八百長問題もそうなんだけど、当然そういうことはあるだろうなということを織り込んで判断するといったプロレス史観がどんどんと失われ、情弱のマジレス運用が社会のデフォルトになっていることに微妙な恐怖感を覚える
Twitter / igi (via deli-hell-me) ”プロレス史観”か。うまい。 (via koichiroh)
セックスするまでもなく、男と女はいっしょにごはんを食べるだけで、いっしょに居られる人かどうかはわかるんです。うまくゆかない相手とだと、ごはんの味がしないから。「味がしない」というのは、「この人といっしょにいても、あなたの心身のパフォーマンスは上がらないです」って身体がシグナルを送ってきているわけですから。いくら頭が「いっしょにいるほうがいい」というメッセージを送っても、消化器の方が「いやだ」って言っている。だから、食事の時にたわないことをしゃべっていても、やたら食が進んで、「おかわり」と言える時は、身体が「この人とは相性がいいよ」って教えてくれているんです。(P.57)
面白がったり、笑い飛ばしたり、何かをたくらむ余裕を持ったり、
大いにしゃべったり、あちこち出かけたり、
エッチであることとか、同時に知に飢えたりだとか、
人に興味を持つだとか、大いに酒を飲んだりとか、
そういったことすべては体力の問題だ。
体力とは、体のどこかに貯めておけるようなものではなく、
自ら日々補給しなければ出せないものだ。

心のどこかで自分に嘘をついている人には体力は貯まらない。
本気で嬉しがったり、感動したり、面白いものに触れたりする、
そうやって得られたものだけが、楽しむためのパワーとなっていく。
それが「享楽的」ということだと思う。

野蛮でないと教養が出せないのと同様に、
知性がないと色気が出ないのと同様に、
享楽的であるにはパワーが要るものなのだ。

KHAKI DAYS : 森永博志「享楽をあきらめない」 (via matsutake) (via exposition) (via konishiroku) (via lain65) (via jinakanishi)
2010-02-24 (via gkojay) (via f-o-pekoe) (via masaka) (via oosawatechnica) (via uessai-text) (via flightsax) (via noboko) (via plus16hours) (via sskhybrid) (via liefujishiro) (via johnnys) (via constan) (via para-fall) (via arma) (via killipechika) (via fukumatsu) (via dewfalse) (via chord00) (via konishiroku)

2010-10-01

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津田:情報社会が発達するにつれ、自分の置かれている立場を認識する人が増えてきているなあと感じています。例えば「自分は偏差値の高い大学に通っていない。しかも地方。いい企業に就職できないなあ」と考える人も多いはず。僕の知り合いにもそうした人がいましたが、彼はとにかく動き回った。

 そして僕のTwitterを見て、ある日講演会に来た。そしてその講演会で、メディアの人と知り合いになり、つながりができた。今後もしかしたらそこで仕事とかを回してもらって学歴が低くてもメディア業界への糸口がつかめるかもしれない。こういうことの繰り返しで、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)を獲得していくわけです。

 自分の置かれている状況を認識する人は多いのですが、彼のように動ける人間が圧倒的に少ない。これが残念ですが、逆に言えば少ない分、動ける人はそれ自体が大きな強味になる。

Business Media 誠:津田大介×鈴木謙介、3.11後のメディアと若者(7):なぜ若者はクルマから離れていったのか (3/5)
ロフトプラスワンのイベントの後の打ち上げに混じれ!みたいなアドバイスを思い出した (via kanose)